1,000円札の富士山を撮影したことで有名な本栖湖です。もともとは大きな一つの湖でしたが、たび重なるの大噴火の溶岩流によって本栖湖と精進湖、西湖の3つに分断されました。
本州1番の透明度を誇る瑠璃色の湖にうつし出される逆さ富士も有名です。絶景をグッドタイミングで鑑賞できるといいですね。
本栖湖(もとすこ)のなりたち
山梨県の富士河口湖町と身延町にまたがっていますが湖の境界線は定まっていません。
一番深いところで121.6mあり富士五湖の中で一番深い湖です。
透明度は天候条件がよければ20m以上の深さまで観測されることもあり、本州で一番の透明さをもった湖です。
好条件に当たると湖にうつる逆さ富士を見ることができます。
そんな本栖湖ですが・・
その歴史はとても過酷なものでした。
大昔(人類の祖先がまだチンパンジーだった頃)河口湖、西湖、精進湖、本栖湖は一つの大きな湖でした。
長い年月をかけ富士山やその周辺で大噴火がくり返し起こりました。火山灰や溶岩などが流れ込み分断されることで、それぞれの湖が出来上がっていったのです。
約5,000年前(縄文時代の最中)から約2,000年前には西湖、精進湖、本栖湖が一つの湖になり、さらなる噴火で本栖湖だけが分断されました。
そして、ついに平安時代のはじめ、貞観6年~8年(じょうがん)864~866年の大噴火(貞観大噴火:じょうがんだいふんか)で残りの湖が西湖と精進湖に分かれました。
(*ちょっとややこしいですね ^^;)
その当時の凄まじい様子を記した記録では
大地震が3回あり、10日以上火の勢いが続いて4~8キロ先の山まで焼き尽くし、石や砂が雨のように降りそそぎました。 溶岩が本栖湖とせの海(せのうみ)に流れ入り、湖は熱湯で魚や亀も民家も全滅し民家には人影もありません。 大地震、雷、豪雨で雲や霧の異様な暗闇に包まれ、山や野の区別もつかないほどでした。 *せの海(せのうみ):西湖と精進湖が一つの湖だったときの名称です。
と、記されています。
穏やかで優雅な姿を見せてくれる本栖湖と富士山ですが、一つの湖(西湖、精進湖、本栖湖)が分断するほどの大噴火が起こったとは自然のすさまじさを感じますね。
本栖湖や富士五湖を訪れたときには周辺の地形に目を向けてみてください。
それは、石や岩ではなく溶岩の冷え固まったものに気づくはずです。
そして、周囲を走っている道路は溶岩の上に作られたものなんですね。
さらに、この3つの湖の底はつながっているのでは?と「湖底連結説」があります。
もともとは一つの湖だったので湖の底がつながっていても不思議はありません。
湖底がどうなってるのか、さらに興味が増しますね。
湖底から水中遺跡が!
湖底からは古墳時代初期の壺や高杯(たかつき)が見つかり、もっと昔の縄文時代のものと思われる土器や石器も見つかっています。
湖の周辺に人々が住んでいた証であり5,000年前の縄文時代から平安~鎌倉~戦国~江戸~令和・・と私たちは同じ場所で同じ富士山を見てるんですね。
これからもずっと。。
*高杯(たかつき):古墳時代(約250~約600年頃)に皿に高い足をつけたような器。
本栖湖
カーナビで 浩庵荘(こうあんそう)の住所を設定するとわかりやすいです。
山梨県南巨摩郡身延町中之倉2926
(やまなしけん みなみこまぐん みのぶちょう なかのくら2926)
河口湖と本栖湖を結ぶ国道139号線から国道300号線に入って真っ直ぐ進むと本栖湖の看板が見えてきます。
左👈へ曲がると・・
本栖湖をのぞむように雄大な富士山がそびえたっています。
なんともいえない神秘的な瑠璃色のロイヤルブルーですね。
風があって湖面が波打っていたので逆さ富士は見れませんでしたが、絶景に大満足です。
道沿いに駐車場が奥にもあります。
1,000円札の撮影ポイントは、ここから30分ほど上ったところです。
*公衆トイレにはいると、50円以上の寄付のお願いボックスがあるので本栖湖の美しさを守るために少しだけ気に留めていただけたら嬉しいです。
1,000円札の富士山撮影ポイントへ行ってみましょう
上る道を見上げてると、管理人らしいおじさんが下りてきて
「70歳のおじいさんでも、30分かけて上ってるから、おたくならもっと早く上れるさ!」
と、応援されてしまいました。
では、行きます!
道は悪くないけど、それなりに気をつけないといけませんね。
注意
下りるときほど気をつけてください。石が滑りやすいです。
上り続けると・・
ちょっと疲れてきます。
2月なのにさすがに汗もかいてきました。
310m、10分と書いてあります。
もう少しのようですね。
けっこう登ってきたようで、本栖湖を見下ろしながらの富士山も気持ちいいものです。
あと10分頑張りましょう!
分岐点のようですね。
帰りにパノラマ台へも行ってみようと思います。
到着!
「逆さ富士」は見えませんでしたが風光明媚富の素晴らしさは言うまでもありませんね。
来てよかった!
こんなに穏やかで美し風景ですが、あの富士山が大噴火を起こし湖を分断するほどの溶岩がここまで大量に流れてきたとは、 まるで昔話のようですね。
時間があるようでしたら、展望台までの散策もいかがでしょう。
パノラマ台へ行ってみましょう!
お次は、パノラマ台へ行ってみます。
ところが・・・
誰もいない。
だ~~~~れも いない・・
進んでも進んでも、パノラマ 台が見えてこないのです。
遠くの方まで見ても、それらしい雰囲気も感じません。
しかも、かなり山の上の方を歩いているので左右から冷たい強い風が吹いてきてお耳が痛いです。
ビュー!!! ざ~~っと 風と木々の音がさらに不安をあおります。(怖いかも・・)
よし!!帰ろう。
むしろ 早く帰りたい。。
パノラマ台への夢と希望をぬぎ捨て、走るように戻って来ました。
パノラマ台までどのくらいの距離があるのでしょう?
もしかして、案内板に目安時間でも書いてあったのでしょうか?
いえ、書いてはなさそうですね。。
ん??何か書いてあります!
ん・ん・ん!!??
【 About 1H 】
およそ1時間って意味かな!??
歩いた雰囲気からしてホントに1時間かかるのかも・・・
あきらめたところで来た道を下りていきましょう。
上るより下りるほうが足元が滑りやすく注意が必要です!
急がず、ゆっくりと下りましょう。
特に、最後の最後!!足元が悪いので要注意です。
紅 葉
ときは流れて・・
11上旬には紅葉が色づき始めました。
流れ雲でくっきり富士山!とはなりませんでしたが、青空と紅葉、瑠璃色の本栖湖に清々しい気持ちになります。
一年を通して本栖湖はさまざまな姿を私たちにお披露目してくれます。
もう一度、撮影ポイントへ行ってみましょう。
2月より木々が生い茂ってますが・・
太陽の光が入ってきて、思ったより明るく気持ちいいです。
でも、足元には枯れ葉が多いので滑らないように気を付けましょう。
富士山もみえます。
上に行くにつれて、紅葉が色づいてキレイですね。
紅葉シーズンともあって、2月より来る人が多いです。
すれ違いには注意が必要なところもありますが、みなさん親切に思いやり対応をしてくれます。
すれちがいに「ありがとうございます」と言われると嬉しくなりますね。
パノラマ台との分岐点にきました。
【 About 1H 】 は健在でした。
いまここで見る本栖湖の姿は、遠い昔から未来までのほんの一瞬を見てるのでしょうね。
こんな景色を見れるといいですね。
帰りみち、やっぱり気になるのでちょっとだけパノラマ台へ行くことにしました。
やっぱり、だ~れもいません。
枯れ葉が風にふかれてカサカサと音をたてると不安になるので戻ることにしました。
上りより、下りのほうが滑りやすいので注意してください。
枯葉に石が隠れてることもあるので、ゆっくりと!
最後は、石で滑りやすいので最後まで慎重におりましょう。
本栖湖キャンプ場方面
こんどは先ほどの反対側、キャンプ場が集まっている湖畔へ来ました。
「スミカキャプフィールド」
住所:山梨県南都留郡富士河口湖町本栖210
TEL :0555-87-2880
「スミカキャプフィールド」さんの前にある道を渡って湖畔へ行ってみます。
穏やかな本栖湖に、カヤックを楽しんでる人たちの笑い声が響きわたります。
溶岩がゴロゴロしてますね。
透き通るよな瑠璃色のロイヤルブルーの風が心の奥まで吹きわたってきます。
ここへ座って水や山、木をただ眺めてるだけの時間でしたが・・
なぜか、また体験したくなるよう神秘的なひとときでした。
次は、いつ来ようかな・・・
呂孔まめ気づき・・
これは、本栖湖とは全く関係なくひじょ~~におせっかいな気づきですので、ご了承ください。
本栖湖の成り立ちを見ているうちに「ん?」と時代背景を勝手に結びつけてしまいました。
それは・・・
「忠臣蔵」です。
富士山の噴火は1707年宝永大噴火が最後です。
現在まで300年以上噴火はありません。
大噴火の火山灰は江戸まで広がり呼吸器系の患者が増えたそうです。
1707年は徳川5代征夷大将軍・徳川綱吉(在職1680年-1709年)のときです。
徳川綱吉といえば忠臣蔵で有名な赤穂浪士の吉良邸討ち入り事件ですね。
- 1701年(元禄14年)3月14日江戸城内の「松の廊下」で浅野内匠頭が吉良上野介を切りつけたため、将軍・徳川綱吉は浅野内匠頭を即日、切腹させました。
- 1702年(元禄15年)12月14日(1703年1月30日)、赤穂浪士47人が吉良邸へ討ち入り吉良氏の首を打ち落としました。
- 1703年(元禄16年) 2月4日(1703年3月20日)、赤穂浪士が切腹しました。
その4年後に宝永大噴火がおきたため、赤穂浪士はこの大災害を知ることなくこの世を去ったのです。
さらにもう一つ、1683年1月25日に江戸の大火事(天和の大火)があります。これはよく知られている「八百屋お七の火事」で3,500人が亡くなったといわれています。
赤穂浪士事件と宝永大噴火、江戸の大火事など徳川綱吉はたくさんの大困難を引き受けた将軍様だったんですね。
現代にも色々な問題が次々と起こっていますが、形は違っても困難を乗り越えながら歴史は続いていく..ということでしょうか?
(本当に余談でした)
いかがでしたでしょうか?
富士五湖(河口湖、山中湖、本栖湖、西湖、精進湖)と富士山の雄大な姿はそれぞれ特有の感動を与えてくれます。
本栖湖には観光地のような華やかな賑わいはありませんが、山あいにひっそりとたたずむ湖と富士山の心静まる神秘的な美しさに誰もが魅了されることでしょう。
大変長くなりましたが、最後までご覧いただきありがとうございました。
Rokusun